SAD(社交不安障害)“上がり”克服のヒント ~“想定観客”のみと対峙すること~

あいち熊木クリニックにも、御多分に洩れずSAD(社交不安障害)の患者さんが大勢来院されている。

彼らの悩みはいろいろだが、非常によくあるものとして「人前で上がってしまう」というのがある。

例えば、ピアノの発表会で上がってしまうことを恐れる女子高生や、部下の結婚式でスピーチをしなければならないのにしどろもどろになるのではないかと恐れる部長さんなどである。

このような状況で上がるのは通常当たり前のことであり、このような悩みを抱えているからといって、直ちに社交不安障害と診断がつく訳ではない。

不安の程度が度外れにひどく、日常生活の平安がかなり侵害されるようなものだけ、社交不安障害と見なされるのが普通であり、それらは精神科治療の適応となり、場合によっては投薬もなされる。

精神科医である私は、このような場合に適切な投薬を施せた場合、患者さんが非常に安楽に過ごせるようになることを知っているが、それでも自力でこの不安状況を何とか克服したいとこだわってしまうこともよく理解できる。

「人前での上がり」に対処するため、具体的にどのような精神状態を作り出すのがいいか、何か適切なアドバイスができぬものかと考えあぐねていたところ、かつての自らの体験をヒントに、ある程度納得のいくアイディアに逢着したので、それを書き記してみたい。

 

私は高校時代、演劇部の部長だった。

ある時期、明けても暮れても演劇のことばかり考えて過ごしていた。

キャストで舞台に立つことも多かったし、演出として舞台全体を取り仕切ることもした。

そのなかで、大変満足のいく上演もあったが、悔いが残るような内容の上演もあった。

しかしその当時、どのようなパフォーマンスができれば満足なのか、なかなかうまく表現できないことが多かった。

ひとつ忘れられない体験がある。

これは、20年以上経った現在でも、時折夢に出てきて、そのたび追い詰められるような、いまだ生々しい体験である。

舞台上には、私を含め3人のキャストが居て、セリフの掛け合いが続いている。

後輩のAが長いセリフの途中で、ある一節をど忘れし、数カ所のセリフを飛ばしてしまった。

それを受けた後輩のBが動揺し、一瞬しどろもどろになり、その後脚本にはない思いも寄らないような言葉を吐いた。

次は私の番だ。

ただ、どのようなセリフで次に繋げるのか、皆目見当がつかない状況である。

この時、今考えても不思議なほど、頭が回った。

おそらく、後輩Bのセリフを受けてから私が次のセリフを発するまでのタイムラグはせいぜい3秒ほどだったはずだが、まるで1~2分間考えるほどのボリュームで言葉が頭の中をほとばしり、適切な言葉を探し当てるべく、必死でその中をまさぐっていた。

そのときだけ、劇の進行はまるでスローモーションのように体験された。

ともかく、前後の文脈がうまくつながり、観客になるべく不自然さを感じさせないような言葉を、という一念だった。

結果、うまくいった。(ただ、なぜか肝心の実際に発した言葉を、今の私は覚えていない)

AもBもなんとか体勢を立てなおしてくれ、劇を壊すことなく終演を迎えた。

緞帳が降り切ったとき、安堵からフーと大きなため息が洩れた。

そして、あの瞬間に立ち返ったとき、背筋にツーと冷たいものが降りた…。

 

断っておくが、私は劇を首尾よく立てなおした、という自慢話がしたいのではない。

あの追いつめられた状況で、どうしてあのような立ち居振る舞いができたのか、自分でも不思議だったのである。

私にとってあの舞台だけは特別で、もし他の舞台で同じような状況に遭遇したら、到底うまく切り抜けることはできなかっただろう。

では、あの舞台は、他の舞台と何がどう違っていたのか。

そのことについて、ずっと考えていた。

そして、思い至った。

私の意識のおきどころ、それが、観客から注視されている舞台上の私自身ではなく、私を見つめる大勢の観客でもなく、ある一人の”想定観客”にのみ収斂していたのだ。

これは、”ある一人の”といっているが、具体的な観客の一人ではなく、私が頭の中で思い描いたイメージ上の人物である。

ピンチに陥った時、実はこの”想定観客”と対峙し、この人物に分からせるように思考を進められたために、そのピンチを脱却することができたと気づいたのである。

もし、舞台上で私自身に対峙し、自問自答していたなら、頭が真っ白になっていただろう。

また、誰とは知れぬ匿名の観客たちに注意を散らし、彼らの目に自分がどう映っているのか意識してしまった場合、しかるべき対処法を見いだせず、やはり迷走していたであろう。

これが、不測の事態にもアドリブを繰り出せるほどの余裕が持て、自ら舞台を完全にコントロールしえた数少ない体験の真相である。

私がこの”意識のおきどころ”について自覚に至ったのは、演劇をやめて随分経ってからのことである。当時にこのような境地に達していれば、もっと良きパフォーマンスができただろうに、と悔やまれるが、それは仕方ないことである。

それはともかく、上記の事柄は「人前での上がり」対処のヒントとなるように思うが、いかがであろうか。

”上がる””緊張する”というのは、言い換えるなら、見ている観客・見られている自分のいずれかに対して意識過剰になり、我を忘れて舞い上がること、そしてその場を統御することができなくなることである。

見ている観客・見られている自分というその場の当事者から意識を逸らせ、フィクションである”想定観客”に対して訴えかけることにのみ神経を集中することができれば、その場の状況をクールに見定めることができる。

ちなみに、”想定観客”というのは、より具体的にイメージできるものの方が良い。たとえば、「25歳、女性、主婦で2歳の長男がいる、スキーと園芸が趣味で…」といった具合である。

この知見は、現時点では私一人のものである。

しかし今後、本文に触れて「使えそうかもしれない」と感じられた社交不安障害の方がおられるなら、ぜひとも試し、その結果をフィードバックしていただきたいのである。

誰かの苦境を打破するものとなりえれば、嬉しい。

 熊木徹夫
あいち熊木クリニック<愛知県日進市(名古屋市名東区隣)。心療内科・精神科・漢方外来>
TEL: 0561-75-5707 )

<※参考>

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